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| 道後温泉の歴史は長い叙事詩である。 由緒 1白鷺伝説 足に傷をおった白鷺が岩間から出る湯に浸り元気に飛び去ったのを見て、人々は温泉の効能を知った。 2神話(伊豫国風土記−温泉説話) 旅の途中、瀕死の少彦名命(すくなひこなのみこと)を大国主命が湧き出る湯で温めると回復し、 しばらく昼寝をしていたようだと、喜びのあまり石(玉の石−本館北側に設置)の上で舞ったと伝えられている。 歴史 古代より、大和朝廷と深い関係にあり、聖徳太子も伊佐爾波(いさにわ)の岡(道後公園)に登り、 明美な風光と良質の温泉を褒め称え、これを記念して、この岡に温泉の碑を建立されたといわれています。 しかし、残念ながらこの碑の所在は不明。 景行天皇、仲哀天皇、舒明天皇、斉明天皇、中大兄皇子、大海人皇子も来浴されています。 仲哀天皇と共に来浴された神功皇后は、和子(応神天皇)をご懐妊中で、 その姿が今の松山名物の姫だるまになったと謂われています。 熱田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば 潮もかないぬ今は漕ぎい出な 額田王(ぬかたのおおきみ) 万葉集を代表するこの歌も道後温泉近くの港といわれています。 山部赤人も素晴らしい長歌反歌を残しました。 このように古代から皇族と深い関係のある道後温泉は現在でも皇族しか入れない湯船があります。(又新殿ゆうしんでん下写真) |
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| 効能 本館と椿の湯は平均43度前後とちょっぴり熱め、泉質はアルカリ単純泉、効能は多岐にわたる。 湯冷めしにくく、湯上がりは肌がツルツルになる。 地元の意見としては全国の温泉を巡っても結局道後が一番良いとの結論。 神の湯と霊の湯があります。 神の湯の2階休憩室の方が県外から来られる方は温泉情緒を楽しめる(座敷が広い)と思います。(上写真) 近くにある椿の湯は空いているが、観光には不向き。 本館は全国で唯一創建当時のまま日常的に使われている重要文化財 |
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道後温泉本館入浴料金
団体割引 20名以上2割引・100名以上3割引 |
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| 寝ころんで蝶泊まらせる外湯哉 一茶 古来より名湯とうたわれた道後の湯は、文人墨客数多く訪れ、想を練ったところです。 シナリオライターの早坂暁氏によれば「この湯は千年の昔から文化を産む湯」であったのです。 また時宗の祖一遍上人は道後奥谷の出です。「とふなれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」と説き、 念仏を唱えれば誰でも救われると、当時貴族のものだった仏教を民衆の宗教にしました。 小林一茶は二度道後を訪れています。その世話をしたのが、栗田樗堂。その伝統を引き継いだのか、 漂白の俳人種田山頭火も厚い保護の中、道後一草庵で生涯を終えました。「ずんぶりと湯の中の顔と顔笑う」 道後を訪れたかたは、歩いて20分ほどの石手寺に行かれてはいかがでしょうか。 八十八箇所五十一番札所で国宝仁王門をはじめ文化財の多いお寺です。 なによりお遍路さんの真摯な姿に接することができるかもしれません。 |
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| 名湯道後の名を世間に知らしめたのは何といっても漱石の「坊ちゃん」です。 温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。 その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ這入った。 ・・・・湯壺は花崗岩を畳み上げて、十五畳敷位の広さに仕切ってある。 大抵は十三、四漬かってるが、たまには誰もいない事がある。 深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。 おれは人のいないのを見済しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡って喜んでいた。 ところがある日三階から威勢良く下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いて見ると、 大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある。(坊ちゃんより) 今も洒落でしょうが札が下げてあります。天目でのお茶のサービスも二階・三階ではあります。(右下写真) 漱石が入ったのは神の湯ができて1年目、初代道後町長伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が 大変な反対を説得し巨費を投じて作ったものです。 唐波風の庇屋根が波うつ三層楼は精選した良材を使った堅牢な造りで木造建築の粋をしめし、 塔屋の振鷺閣は西洋の建築技術を取り入れた目新しいものでした。 |
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